長野まゆみ

kidou1999-08-02

綺羅星波止場』長野まゆみ
あとがき 硝子越しの物語より
この頃、作品の透明度ということを考えている。性的な内容や描写を扱うかどうかは問題ではない。出現する世界を、裸眼ではなく、一枚の澄明な硝子を透かしたように書かねば不可ないと思っている。その硝子板が、汲みあげたばかりの湧水にひたされて澄んでいるのなら、なおよい。手が届きそうで届かない。はっきりと見えるようで、掴みどころなく、輪郭はぼやけている。そんな、世界を希んでいる。

長野まゆみの物語は、そう、彼女自身が書いているとおり、一枚の澄明な硝子を透かしたように描かれている。その世界にいる透明な少年たち、月の魔法を浴びた猫、蒼い天、緑の樹々、水面、水草、銀木犀、蔦蔓、灰色の沼、夏の訪れ、煌く海、玻瑠の睛、幻燈、夏至盂蘭盆、鉱石、柘榴石、路面電車、銅貨、プラネットボート、夜天、釦、蜂蜜麺麭、紅玉、黒蜜糖、月彦、鉱石ラヂオ、不如帰、鐶の星、テレヴィジョン、炭酸水、エレヴェエタ、感情、風景、生命、全てが窓硝子から見えるような、幻想でもない、現でもない、まるで、水滴のような、存在と透明さ。
刻には過去を、刻には未来を。
景色は過去を、感情は未来を…
時間と空間と言語空間の迷宮。
私たちは、彼らに、煌くオブジェに、触れることは決してない。硝子の質感と自分の感性を信じながら、世界を、物語の息吹を感じていく。