『紅顔』井上祐美子[Amazon]

中国は明朝末期。北京が李自成に落とされた頃、呉三桂は山海関にて満洲族(清)の侵攻をくいとめていた。北京陥落の報を知らされた彼は、「乱世が来た」と心を滾らせる一方で、北京奪回の方策を練り、清と手を結ぶ決意をする。そして北京の奪回に成功するが、清の摂政であるドルゴンとの対面で、自分との器の違いを見せ付けられ、清に屈服することとなる。伝説では、呉三桂の愛人である陳円円という美女が李自成に捕らえられたと聞いて、それに激怒した呉三桂が清に降伏し、取り返しに行ったという傾国の美女的な話があります。

この小説では、傀儡のように、ただ生きてきた女であったが、呉三桂と出会うことで、はじめて生きたいと思った陳円円と、ドルゴンを今は越えられないことを知り、帝位に就くという夢想を、一度見てしまった野望を、いつかドルゴンを越える日まで、その心を陳円円に預けることとなった呉三桂との恋愛物語として描かれています。その描写は明の滅びを描く背景と比べて、とてもひっそりと微小なものでしかありません。でも、この構成だからこそ、ふたりの交情を静かに浮かび上がらせていくような気がします。男の一番大事な心を受け取り、その野心を自分の心で暖めて、生きていく女と、野心を憧憬化した存在としか見ていなかった女に対し、心を許していく男。ふたりの生と歴史のもつ物語性のバランスのいい物語だと思います。

紅顔

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