『双頭の鷲』佐藤賢一 新潮社[Amazon]

物語の始まりは、1356年、フランスの中西部で興った"ポワティエの戦い"からである。英仏百年戦争のなかでのこの戦いでは、歴史に名を知らしめる英雄イングランドの"黒太子"エドワードが、率いるイングランド軍の戦術、前列の長弓兵と後列の重装槍兵を徒歩で着弾させる"モード・アングレ"で、フランス国王"騎士王"ジャン二世を歴史的な大勝で破ることとなる。そして、舞台はブルターニュへ。モンフォール伯率いるモンフォール党とブロワ伯率いるブロワ党が争うブルターニュ後継戦争の真っ最中である。モンフォール党は、同盟者であるイングランド軍をブロワ党の要所である小都市ディナンに差し向けていた。この包囲戦の休戦中にある決闘が行なわれていた。当事者のひとりは、物語の主人公であるベルトラン・デュ・ゲクランである。この土地の生まれで、近隣の貴族の息子であり騎士でもあるこの男は、かつて希代の悪童として名を馳せていた。現在は、36歳。ブロワ党の傭兵隊長にして、ポントルソン市の城代補としても官職も授けられている。イングランド軍からは、"ブロセリアンドの黒犬"として恐れられている。この男の風貌は、強烈な灰汁の強いものである。顔は丸く、飛び出した目玉も丸く、鼻も丸い。髪も丸刈りにしていて、巨体と、膝まで伸びる驚くほど長い両腕を持っている。性格も奇矯、言動も同じくである。「俺は戦の天才だぜ」としょっちゅう言い、いひひ、ひへへと奇妙な笑いと、無邪気でメチャクチャな子どものような振る舞いで、周囲を引き付ける男である。決闘の後、デュ・ゲクランの兄弟との確執と和解が描かれ、"レンヌの戦い"では、1500のイングランド軍相手に、デュ・ゲクラン率いる黒犬隊100の騎兵で、独創的な奇襲をかけ、破ってしまう。デュ・ゲクランの戦術的天才が世に知れ渡ることとなった。そして舞台はパリへ。デュ・ゲクランの運命の主君、王太子シャルルとの出会いが描かれる。後に、"賢王"と称されるシャルル五世と、"軍神"と崇められるデュ・ゲクラン大元帥の出会いであった。そして、パリ市民が革命によって席捲する市内から、王太子一行を救出することに成功する。

デュ・ゲクランを彩る様々な登場人物たち、彼らもまた、あるものは、デュ・ゲクランの光に魅せられ、あるものは、彼の闇となっていく。そして、歴史の光と闇を覆っていくのだ。彼の従兄弟である托鉢修道士エマヌエル。ベルトランの目付け役を自任しており、書記や伝令の仕事もこなす良き相談役でもある。この物語は彼の視点からも、ベルトランという男とは何だったのか、というテーマを汲み取れる。気弱で文人肌の王太子から、天才的な策略家にして、大政治家となっていき、常備軍と官僚を両翼に備えた中央集権、絶対王政の基礎を育むこととなっていきながら、常に苦悩を抱え込むシャルル。英雄としていきながら、晩年は、デュ・ゲクランに恐怖し、弱さを露呈していき、死ぬこととなる黒太子エドワード。デュ・ゲクランの天才を見抜き、黒太子エドワードに生涯付き従い、彼に抗するものを悉く葬りながら百年戦争を生き抜いてきた"鉄人"チャンドス。デュ・ゲクランと並ぶ戦の天才ブーシェ伯グライー、同じ天才としてデュ・ゲクランとの友誼を育みながら、彼もまた黒太子の義に殉じることとなる。幼き頃の想いから、デュ・ゲクランと結ばれ、占星術によって彼を助けながら、増していく輝き光るデュ・ゲクランの闇とも言える待ち続け、寂しい生涯を送ることとなるティファーヌ・ラグネル。彼女を慕い、亡骸と共にデュ・ゲクランの元から去るエマヌエル。有能な兄であるシャルルを慕いながらも、追放した父への想いから、複雑な心境とともに、デュ・ゲクランの戦を学び、戦っていくアンジュー公アンリ。母に拒絶されたデュ・ゲクランとは逆に、愛し愛され、ふたりだけの世界を創ってきた。デュ・ゲクランを生涯否定し、後には、自分の世界を奪った彼そのものとなっていこうとする弟オリヴィエ。舞台は、ノルマンディ、スペイン、そしてブルターニュへ。"神の子"と呼ばれることとなる後年のデュ・ゲクラン。その戦いの生涯と彼の心の変遷、周りの人々の生と死、歴史、母と子。
A・デュマの正当な継承者が放つ、波瀾万丈の歴史物語の最高傑作。この物語からは鼓動が聞こえる。人、過去、歴史、生きてきた、生きていく、全ての存在の鼓動が。蒼穹を仰ぎ見る時、この物語は天へと還る。

双頭の鷲

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