隅田川

東銀座を抜け築地への町並みを歩く。古い家の香りを感じ、花に群がる蝶や急いでいる宅配人、のんびりと歩く住人、連れられた吼える犬が秋の日差しとあいまって僕には暖かい。耳に流れ込んでくる歌は曖昧な世界の欺瞞を、そこから抜け出すことを謳っている。それは僕がこれから向かうことへの期待と不安とその曖昧さが生きている実感をも時々思い起こさせる。高層の新築マンションが立ち並ぶ地域に出、公園らしき緑に包まれた場所に出るとそこには川が流れていた。そうか、隅田川だ。川沿いには整備された道ができており、テラスと呼ばれる道を歩き始めるとまばらに人の存在がみられる。川には時々爆音を轟かせるジェットスキーや遊覧船が通り過ぎるも、大抵は漂う水の音のみが支配する世界。その世界で僕は呟いてみる「世界は行き止まりなんかじゃない」空を見上げ心の力を補充する。夕暮れを過ぎたころまで歩き続けるとまわりの景色に点灯する光が見え始める。人そのもの、人の想念が沈み込み、その発光する一部を周回する情報や日常を追う人々が掬い上げ、お互いに点灯しあう。それがコミニュケーションというものだろう。都市機能が夜という生活の会話を始める頃、寄り添う孤独を振り切るようにテラスを抜け僕は帰途に就いた。