『秒速5センチメートル』シネマライズ

転校を控えた中学一年の三学期、心を通わせた幼馴染の明里が住む北関東の町に向かう貴樹の切ない雪の日の旅を描いた第1話『桜花抄』、雪で待ち合わせの時間が刻一刻と過ぎていく焦燥感、幼い恋の無力さと無垢な心に痛みを感じる。むかし、手を取り合って駆け回った女の子を思い出す。
種子島の高校に転校した貴樹に恋をした少女カナエの想いをたどる第2話『コスモナウト』、新海誠監督の宙への想いを感じさせる打ち上げシーンや、カナエの貴樹には届かないと思った瞬間の止まらない涙を昔の自分に重ねてしまいぐっとくる。
東京で積み重ねられた日常に潰されそうになっている貴樹と、付き合っている男性と結婚を控える明里が思い出すむかしのこと、それぞれの心象風景と山崎まさよしの「One more time, One more chance」の曲を重ねる第3話『秒速5センチメートル』の三部構成の作品。むかし、僕が好きだった人に教えてもらった曲(普通は逆だよね)として「One more time, One more chance」は今聴いても切ない曲だ。大丈夫だよと言ってくれた明里に想いを残し続ける貴樹には未練だけではない啓上し難い感情を共有してしまう。ある意味理想化された情景と人が体感してきた距離と速度が忘れられない想いだけど忘れられていくという恋や人生を現していると思う。何だろう、すごく想いが残る作品だった。

他に拾ってうなった感想
キャラクターは主人公の貴樹にしてもヒロインの明里にしても無個性で、観る人の人格を映しやすい分、魅力には乏しい。

ウン、やはり人を映す鏡みたいなキャラクター造形なんですね。だから自分語りになってしまうのか。

新海氏が美しいと思うものだけを描いた作品で、そしてそれを美しいと思う人にとっては評価が高く、その美しさが表面的なものに過ぎないと思う人にとっては評価が低くなると思う。後者の評価ももっともで、この作品にあるのはいわば「病的な美しさ」だ。
そこに発展性は無い。

なるほど、病的な美しさ、そして虚無感、発展性のない美しさに惹かれる嗜好と言うのも良くわかる。

この作品が、前向きなものも後ろ向きなものも含め、実に無尽の予感によって支えられていると感じたからです。予感とは、主題歌である「One more time, One more chance」が特に表しているような、"こんなとこにいるはずもないのに"振り返ってしまうということ、そして、今作の登場人物の多くがそうであったように、ひとつの予感にすがろうとするほど"次の場所を選べない"ようになってしまう、良くも悪くもそういうものだと思います。

予感、これが一番この物語上の場面場面の美しさに相応しい言葉のような気がする。この予感にすがるほど次の場所を選べない、なんて切ないんだろう。

一番こたえた感想

おそらくこれまで後ろ向きに生きてきた人間ほど、この作品に食らわされる打撃は強いんじゃないかと

ああ、認めたくない・・・けど、前向きとは言わないけど斜め前を向いて生きてきたと信じたいけど・・・この打撃はまさしく後ろ向きに生きてきたことの証・・・